見続ける涯に火が・・・批評集成1965-1977 中平卓馬 Takuma Nakahira
目次
1:同時代であるとはなにか 1965−1970
映像は論理である 東松照明とグラフジャーナリズムの現在
不動のしてんの崩壊 ウィリアム・クライン『ニューヨーク』からの発想
狂気の美学のパラドクス 細江英公写真展「とてつもなく悲劇的な喜劇」
写真にとって表現とは何か 「写真一〇〇年 日本人による写真表現の歴史」展
物質的基盤を失った言葉 写真展の流行とその背景
編集後記 『プロヴォーク』一号
リアリティ復権
証拠物件
同時代的であるとはなにか?
言葉を支える沈黙
物の影の底にあるもの
2:イメージからの脱出 1970−1971
写真は言葉を挑発しえたか
映画はすべてドキュメンタリーである
グラフィズム幻想論
風景への叛乱 見続ける涯に火が・・・
血ではなく、赤い絵の具です ジャン=リュック・ゴダール『中国女』
作品は現実の一部である ジャン=リュック・ゴダール『東風』
作品の背後になんかゴダールはいるはずもない
映像の匿名性と党派性 ジャン=リュック・ゴダール『イタリアにおける闘争』
イメージからの脱出
日付と場所からの発想
3:記録という幻影 1971−1973
モロッコ、絵はがきの風景
現代芸術の疲弊 第七回パリ青年ビエンナーレに参加して
写真、一日限りのアクチュアリティ
制度としての視角からの逸脱は可能か
日本の現実を凝視する視線の両義性 東松照明『I am a king』
記録という幻影 ドキュメントからモニュメントへ
複製時代の「表現」とはなにか 「マッド・アマノ=白川義員裁判」をめぐって
日本的なるものとジャーナリズム的なるもの
写真家いかに食うか、食うべきか まずみずからをエピソードと化せ!
4:なぜ、植物図鑑か 1973−1975
なぜ、植物図鑑か
近況 それからそれから波高し
まったくのゆきあたりばったり 私の読書
ユジェーヌ・アッジェ 都市への視線あるいは都市からの視線
客観性という悪しき幻想 松永優事件を考える
とりあえずは肉眼レフで
わが肉眼レフ 一九七四・沖縄・夏
なにげない視線、やわらかな息づかい 『木村伊兵衛写真集 パリ』
写真による写真批評 篠山紀信『晴れた日』
沈黙の中にうずくまる事物 ウォーカー・エバンズにふれて
歴史への意志 シュルレアリスムの潜在的な力
「第三世界」と世紀末の映像
5:視線のつきる涯 1976−1977
奄美 波と墓と花、そして太陽
身振りとしての映像 ブレボケは様式ではなかった
旅を拒みE線上のアリアを唄おう
視線のつきる涯
個の解体・個性の超克
篠山紀信論
街路
先制の一撃 見ることと読むこと
インターリュード
編者あとがき
帯文:浅田彰
編者:八角聡仁、石塚雅人
ブックデザイン:服部一成
出版社 publisher:オシリス/OSIRIS
刊行年 year:2007
ページ数 pages:510
サイズ size:B6
フォーマット format:ハードカバー/hardcover
言語 language:和文/Japanese
付属品 attachment:カバー、帯/dust jacket, wraparound band.
状態 condition:新品です。/new.